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3/29 首都キエフよりセルゲイ・ナクール牧師のメッセージ

  ウクライナへのロシアによる侵攻が始まって、1ヶ月以上。 刻々と厳しくなる状況に多くの方が国外脱出をされる中、首都キエフに留まり続けるセルゲイ・ナクール牧師からの報告を今週もお届けします。 破壊された街の中、まさに死と隣り合わせの日々で、ナクール牧師の心に響いているのは、詩編16。 主イエスの受難と死を思い巡らすレントのこの時、どうぞ皆様の日毎の祈りにお覚えください。 私共の主イエスが、この地を憐れみ、ご自身の平和を与えてくださいますように。   * * * * * * *   セルゲイ・ナクール牧師 (ウクライナの首都キエフの牧師、FEBCウクライナの番組出演者) 「私は、破壊されたスーパーマーケットの前に立っています。 キエフ市民は、次はどの建物が破壊されるかと案じています。 死は、まさに私達の隣りにあります。 私も、『そのような状況でどうしておられるのですか?』と問われます。 私自身、詩編を味わうことがとても重要になっています。 詩編16で、ダビデは聖霊に満たされて次のように詠っています。 『わたしは絶えず主に相対しています。 主は右にいまし わたしは揺らぐことがありません。』(8節) 『あなたはわたしの魂を陰府に渡すことなく あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず…』(10節) ダビデは死を経験しました。 そして、私も遅かれ早かれ、死を経験するでしょう。全ての人がそうです。 にもかかわらず、どうしてダビデはこの保証・確信を持てたのでしょうか。 どうして、私もこの保証・確信を持っているのでしょうか。 この詩編は主イエスの復活を預言している詩編です。 ダビデは主イエスを望み見たのです。 使徒言行録2章25-32節で使徒ペトロはこの詩編を引用しながら、主イエスが墓穴に収められた後、そこで朽ち果てることなく甦ったことを証ししています。 これがダビデにとっての保証・確信であり、そして私自身にとっての保証・確信なのです。 私達は見るのです。主イエスの復活の日を。 私達は見るのです。私達のこの目で、御復活の主イエスを。 これこそが、このような状況にあっての確かな保証・確信、そして慰めなのです。 たとえ、この破壊された建物のように私の肉体が滅ぼされたとしても、私の愛する救い主イ

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