最近すっかり私達の生活に定着した言葉に、コストパフォーマンス、
略して「コスパ」というものがあります。
例えば、本来は千円掛かるようなものが百円で抑えられる事がわかれば、
その商品は非常に「コスパ」が高い、となるわけですね。
ところが、今回の小林和夫先生が説かれた聖書箇所では、
そのコスパが最悪(!)の行いをする女性が登場します。
「イエスがベタニヤで…食卓についておられたとき、ひとりの女が、
非常に高価で純粋なナルドの香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
それをこわし、香油をイエスの頭に注ぎかけた。」
(マルコ14:3)
そしてイエス様は、何故かこの出来事をお喜びになる…
小林先生は、そこに居合わせた弟子たちの心を活写します。
「イエス様の言うことが分からなかったと思います。
『俺たちはこれは無駄だと思うのに、
イエス様は最高だと言う。なんなんだろう…。』」
思い返せば私達も、この信仰生活で「なんなんだろう…」
という思いとは決して無縁ではないと感じます。
単純にお金のことだけではなく、時間や、また労力も。
いつの間にか、何かを合理的に、効率よく得るために
祈りの中ですら、計算をしている自分がそこにいるような気がします。
しかし、そんな「なんなんだろう…」な私達に向かって
主イエスが語ってくださった、ある不思議な言葉。
まさにそこに救いがあると小林先生は語ります。
「この女はできる限りの事をしたのだ。
すなわち、わたしのからだに油を注いで、
あらかじめ葬りの用意をしてくれたのである。」
(マルコ14:8)
できる限りの事とは。
そして、葬りの用意とは。
私達のいまだ知らない生き方を、「生きるとはキリスト」から
ご一緒に新しくお聞きしたいと願います。